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「親ガチャ」は奴隷の発想

「親ガチャ」は奴隷の発想

こんにちは。純白です。

昨日のTwitterトレンドに「親ガチャ」があがっていましたね。

親ガチャとは、親から得た経済的有利や生得的能力で

人生があらかじめ決定することをガチャガチャに例えて表現した造語です。

この言葉を見るたびに気持ち悪いなって思うんですが、

それは自己責任論的な話ではなく、構造を疑わない精神性に対してです。

今回は、そんな親ガチャについて語っていきたいと思います。

親ガチャは奴隷の言葉


価値観というものは抽象概念なので、それを信じる者がいて初めて力を持ちます。

「お金」「地位」「幸福」といった数値化できないものを信じることで社会は回っています。

お金は本質的には紙切れですが、皆その紙切れの為に人生をかけて戦います。

カイジの兵頭会長曰く、「王は一人で王になるわけではない。

金などいらぬと貧しきものが結束したら、王もまた消えるのだ。 」とのこと。

価値は信じる者の羨望で肥大化しているという大前提に倣うなら

「親ガチャ」という言葉は、それに従う奴隷の言葉だと思っています。

「親ガチャSSR」など良い言い方をしていますが、従来は「親の七光り」と呼ばれ

親の能力で、見せかけの成功を享受している人を揶揄する言葉が主流でした。

親たちが残した既存な価値を打ちこわし、新たな価値を提示できない人は

誰かの作った価値を信じる「信者」になるしかありません。

実力主義に対するアンチテーゼではない


「親ガチャ」には実力主義(メリトクラシー)に対する

アンチテーゼになっているという反論もあるでしょう。

エリートは自分の稼げる能力や社会的地位を、全て自分の実力ととらえがちです、

しかし実は、エリートを信奉する凡人もまた同じ価値観を持っています。

その凡人は例え、金や権力を得ても自惚れたエリートと同じことを再生産するだけです。

ヒカルやラファエルの動画を見ている層は、

金持ちになってもヴィトンで一番高い商品を買う姿を動画にするでしょう。

実力がある人もない人も同一の価値観を持っているというのは本来おかしなことです。

実力があるからこそ、強者の義務感を持っていてしかるべきですが、

下位層は、自分が成功したとしてもその価値観を持ちたくないため自己中心化し、

強者の自己中心性を肯定します。

自分の実力で手に入れたものなのだから他者に還元しなくていいという思想は

マッチョイズム啓蒙であり、本来それを非エリートが推奨することはおかしいことです。

そのカウンターとして「実力=運」を提示するのはいいのですが

それならば、運で手に入れたものだから「妬む」のではなく、

非エリート自身の価値観を提示していないとおかしくないですか。

「親ガチャ」=楽して生得的権利を保有したいっていうオナニーじゃねえか。

それはエリートもその権利が自身にあると思ってんだからお前らは仲間だよ。

さも分断があるように語ってる自己矛盾に早く気が付いた方がいいと思います。

ツッコミ出すときりがないので、今日はここら辺にしときます。

まとめ


いかがだったでしょうか。

「親ガチャ」という言葉に対してイラついたので文章化しました。

因みに自分は人生は運ゲーだと思ってます。

それは運の悪かった人間が、価値創造しないことを肯定することではなく、

運が悪かったんなら親世代になかった価値を身に着けようぜっていう自己啓発的な発想です。

次回の記事でお会いしましょう。さようなら。

 

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