純白くんのブログ

純白が思ったことを書くだけのブログ。

千葉雅也の哲学 勉強で陰キャラは卒業できる

千葉雅也の哲学 勉強で陰キャラは卒業できる

こんにちは。純白です。

自著オーバーロードが第165回芥川賞候補作となったことで

一躍、脚光を浴びた哲学者の千葉雅也をご存じですか。

千葉氏は女性の生理と男性のオナニーを同一視するような発言で

女性の権利系の界隈で炎上し、そちら側の界隈でも有名な人です。

(そのことについては別の機会に記事にしたいと思います)

今回は彼のデビュー作である「勉強の哲学」について、

「既読だが良く分からなかった」という人、

もしくは未読の人に向けて解説していきたいと思います。

勉強をするとノリが悪くなる


「勉強の哲学」は「来るべきバカのために」というサブタイトルが付いています。

勉強とは、新たな思考法、知識を習得することで、現在の周囲のノリと乖離していき、

ノリの悪い奴になっていくというデメリットがあるということが述べられています。

ぶっちゃけ当たり前の話だなとは思います。

人間はIQが10違うだけで会話が成立しにくくなり、

IQ20以上の差があるとコミュニケーションが取れません。

つまりコミュニティで1人だけが勉強をし続けることで、

周囲と興味関心に対して乖離が生まれるのは想像の範疇というか、

体感レベルで理解できていることだと思います。

所謂イツメンと話していると、その共同体での暗黙のコミュニケーション、

又は暗黙の言語が構築されていき、ガラパゴス化していきます。

内輪ノリが固定化することによって、そのノリから逸脱する人が、

「ノリの悪い人」という同調圧力に晒されてしまうのですね。

これを千葉氏は「言語の他者性」という言葉を用いて説明していましたが、

嚙み砕いて説明するととってもシンプルです。

実用的な勉強はボケとツッコミに宿る


ガラパゴス化した環境コードから逸脱しながらも、

タダのノリの悪い人にならないためにはどうすればいいでしょうか。

それはお笑い芸人の立ち居振る舞いが参考になります。

お笑い界のレジェンド松本人志曰く、お笑いの真骨頂は「緊張と緩和」だそうです。

緊張とは、真剣なムードと言い換えられます。

緩和とは、場にそぐわない言動と言い換えられるでしょう。

会議中に、部長の形態の着信音が鳴り響き、それが大塚愛の「さくらんぼ」だったら、

会議中という緊張状態、部長というポスト、大塚愛という選曲、

全てがミスマッチで大爆笑ですよね。

緊張状態から緩和状態へと意図的に状態を推移させるのが「ボケ」です。

緊張状態を疑って第二のモノの見方を提供するのが「ツッコミ」です。

両方とも、場のノリをメタ的な視点で見れていなければ、

その流れを破壊するようなボケ/ツッコミはできません。

勉強によって第二ステップに至った人が第三ステップを経ずに、ボケやツッコミを行うことを

共同体は「ノリが悪い」「キモイ」と判断し阻害するのです。

松本人志が、レジェンドであるのは「緊張と緩和」を生み出したからではありません。

バラエティーでイニシアティブを取れる大御所の凄いところは、場を俯瞰する力です。

これを行うには、マンネリ化を防ぐために常日頃の学習が必要だということです。

陽キャはメタ視点によって成り立っている


勉強だけできる人がコミュニケーション下手になりがちなのは、

上記の理屈が分からずに知識だけが肥大化している状態、

すなわちボケの過剰状態が原因です。

新しい知識や価値観を、現行の環境コードにぶち込むのが「ボケ」です。

しかし、常にボケまくっている芸人は面白くありません。

ボケまくっているので緊張状態(話の骨子が折れていない状態)が、

維持できずにコミュニケーションが支離滅裂になってしまうのです。

分かりやすく言えば、陰キャラは自分の話ばかりします。

コミュニケーションがどういう目的をもって行われているかを

メタ的に観察できていないので、次々に話が飛びます。

これを千葉雅也は「享楽的こだわり」と呼んでいます。

快楽のために言語を発しているだけで、目的が見えていない状態です。

多くの場合、会話のトピックには大した意味はありません。

いったん中断されれば、「何の話だったっけ?」と忘れてしまうものです。

知識偏重でメタ視点が疎かになると、キモイ人になりがちです。

まとめ


いかがだったでしょうか。

勉強をするとキモイ人になりますが、勉強しなくてもキモイ人いますよね。

あれなんなんでしょうか。千葉先生に教えていただきたいです。

以上、次回の記事でお会いしましょう。さようなら。

Return Top