
みなさんこんにちは。純白です。
映画の本編を短く編集し(ネタバレを含むような形で)
内容だけ理解させる目的で作られた映像作品を『ファスト映画』といいます。
先日、著作権侵害として札幌市で初の逮捕者を出しました。
【著作権】「ファスト映画」業界団体が法的措置へ
https://t.co/pAmEgDjMWp @itm_nlab本物の映画の素材を切り貼りし、2時間の映画を10分ほどにまとめた「ファスト映画」がYouTubeで増えていることを受け、業界団体が対策に乗り出しています。何が問題なのか、関係者に取材しました
— ねとらぼ (@itm_nlab) June 22, 2021
トレーラー(予告編)との違いは、動画自体に結末を含んでいるため、
ファスト動画だけでコンテンツとして成立してしまう点にあります。
『ファスト映画』がYoutubeなどで、ある程度の再生数を保持するようになってきたことで
CODA(一般社団法人コンテンツ海外流出促進機構)の逆鱗に触れ、
今回の逮捕にまで至ったようです。
(著作権は親告罪のため権利を持っている人が訴えないと犯罪化しない)
今回はこの事件について考察していきたいと思います。
もくじ
被害額の根拠
この1年で投稿されたファスト映画は推定2100本で、
被害総額はCODA側の推定ではありますが956億円に上るそうです。
単純計算でひと作品当たり4500万円相当の被害を訴えています。
50以上のチャンネルと投稿者がいる中で、彼らは取り分け利益が大きく
見せしめとして逮捕されたと考えるべきでしょう。
この金額の妥当性はさておき、ここまでの被害額を出す事件が
なぜ初動で対処されずに、被害額を膨らませ続けたのでしょうか。
膨張するデータ至上主義
今回の事件は映画作品についてのものだが、8年前にアメリカ合衆国で
学術論文をオープンソース化しようとしたハッカーが逮捕され自殺した事件がある。
この事件で殉職したアーロン・スワーツは元々、著作者の権利拡大に対して
反対運動を指揮しており、情報のオープンソース化を正義だと信じていました。
これを歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリはデータ至上主義者と呼んだ。
つまり、データには意思があり、それ自体が自由になりたがっているという思想です。
「映画を映画館で観たい=体験にお金を払いたい」と考える人と、
「内容をなるべく簡潔に吸収したい」と考える人は別の人種です。
後者の需要は膨張を続け、今や著作権法がダムの役割を果たさなくなっています。
後者は拡大するが、前者になることは決してない。
つまり、情報の声に呼び寄せられる人たちがいるから、
このような事件が今後減ることはあり得ないのです。
データのオープンソース化は膨張を続ける、これがデータ至上主義です。
権利者側からの意見
CODAは、違法動画を視聴することでさえも犯罪者に間接的な利益教授であると述べている。
著作権法違反の対象外の視聴者に対しても、罪悪感を持つよう求めています。
このような過剰ともいえる権利主張言論の根拠はどのようなものなのでしょうか。
法学者のイェーリングは以下のように述べている。
権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である。
出典: イェーリング『権利のための闘争(岩波文庫)』
人間が倫理的存在として成立するための条件は「権利の主張」であるというのです。
イェーリングは、権利は人間に付随するものであると考えました。
著作物に対する権利が、死後の年月とともに失われることを考えると、
世界各国の権利感は、イェーリングの思想を反映しているものといえるでしょう。
CODAも、現代の権利感に漏れずに権利を持って新会社をたたきつけました。
権利者側の正当な権利行使といえます。
データ至上主義vs闘争する権利者
拡大するデータ本体とそれを阻止する権利者の闘争、
これは人類が持つ永久の難題です。
前者が完全勝利するときは権利者の利益が全て公共への奉仕と化し、
良き作品を作ろうとする商業的意思が失われるからです。
一方で、後者が完全勝利するとき、
芸術や知識は財産を持つ一部の特権階級のものとなり、民衆から権利が剝奪される。
芸術とは、資本主義へのアンチテーゼという面があり、
権利団体が、利益のために、その内容を秘匿するのはどうなのかなと思います。
勿論、まるまるコピーしたものを己が作品として提示することには問題があります。
しかし需要があるものには、その理由があることも理解すべきです。
今回の逮捕に対して、権利側にパワーバランスが寄っているのではないかという
ある種の危機感がぬぐえません。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回は、どちらが正しい間違っているではなく問題提起にとどめました。
皆さんは、この事件についてどう思ったでしょうか。
コメント欄を開けておくので、ご意見をお願いいたします。
それではまた次回、さようなら。
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