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罪悪感があるときに読む記事

罪悪感があるときに読む記事

みなさんこんにちは。純白です。

みなさんは『罪悪感』を感じることがあるでしょうか。

自分はあります。

仕事をサボっているところを何となく先輩に感付かれそうになったときなど、

探りを入れてきている相手の顔をまともに見れません。

仕事はサボるなって話なんですが、悪いと認識していることと自制できることは別です。

自制心が弱く小心者なおかげで人より罪悪感を感じやすいです。

今回はそんなときの対処法を自分なりに考えていきたいと思います。

罪悪感はなぜ生まれる

罪悪感はルールから生まれます。

読んで字の如く、罪悪感は『罪と悪の意識』です。

お金で自分の労働力を売っているのだから、働くのは当たり前だという社会認識があり、

それに違背するような行動をとっている自分が罪を犯しているという意識があります。

では、なぜ人間は悪いと分かっていることをやるのでしょうか。

それは人が弱いからです。

古代中国の思想家、荀子は『性悪説』を唱えました。

人は生まれついて弱い存在であり、弱きに流れる結果が『悪』であるというのです。

弱いが故にルールと罰則が必要で、

ルールを破れば損をするという認識が人を悪から解放します。

罰金や刑罰のみが、罰則ではありません。

人からの軽蔑も、大きな罰則の一つです。

仕事の手を抜くことは、周りからの評価を下げます。

つまりサボりの快楽は罪悪感を得るリスクとの等価交換になっているといえますね。

ルールを守る自分が演出したい人(人の評価を気にする人)ほど罪悪感を感じやすいです。

軸はどこにあるのか

ルールは破ったときの罰則とセットで設計されます。

例えば、大学は出席日数が足りなければ進学できません。

出席日数は自分で管理すべきものであり、

それが足りなかったときのペナルティも本人が負います。

『評価する周り』ではなく、あなたです。

受ける罰則を自己責任と捉えることで、他人の評価と自分の行為を切り離して考えることができます。

かの有名なアドラー心理学ですね。

自分の軸で生きると罪悪感を感じにくいです。

反省することは大事ですが、それは反省するに値する(納得できる)失敗に対してだけです。

『~べき』論

~するべきであるという考え方は捨てましょう。

それは苦しさの元です。

自分には自分の人生があり、相手には相手の人生があります。

通らなければならない1つの道など幻想でしかありません。

自分はロバートフロストの『THE ROAD NOT TAKEN』という詩が好きです。

その詩はこんな終わり方をしています。

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence;
Two roads diverged in a wood, and I ---
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.

ため息とともに語るだろう。いつかどこかで。

2つの道が木を挟んで別れていて

私は旅人の少ない道を選んだ。

そしてそれが大きな違いを作ってきたんだと。

どんなにお金がなくても会社でポジションがなくても、

自分の人生は自分が決めている。

そう思って生きていく方が清々しいです。

まとめ

いかがだったでしょうか。

今回の記事は自分に向けて書いてます。

油断するとすぐ他人軸で生きてしまうので戒めを込めて。

それでは次回の記事でお会いしましょう。さようなら。

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